無垢板の座卓作り

 

部屋の隅に置いたままだった、杉の無垢板を久しぶりに出してみた。

この杉板は三年ほど前、ネットで手に入れたもので、

たてよこが、それぞれ90cmくらいで、厚さが5cmのどっしりとした杉の無垢板なのだ。

たしか、栃木県の日光で伐採したものを国から払い下げられたといった、

なんだか由緒ありそうな、紙が貼ってあったが、

その紙は剥がれてしまい、何と書いてあったか今では知る由もない。

断言できるのは、この杉板は最低でも直径一メートル以上もある、

日光で育った杉の巨木から製材された、無垢板であるという事だ。

こころして、使わないとバチが当たるかもしれないのだ。

 

いつか、座卓にでもしようと考えて、手に入れたのだが、

山小屋作りに忙しくて、そのまま放置していた。

山小屋が出来てきたので、まずはドーンとした無のテーブルを作ろうかと思ったのだが、

最初から大物にとりかかると、失敗する可能性が高い、

まずは腕試しに、この杉の無垢板を使って、屋根裏部屋に置く座卓を作ることにする。

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 作業は、まず表面をたいらに鉋がけしてから、

 サンダーでつるつるに磨きあげてから塗装する。

 次に、座り心地のいい高さに脚をつけるのだ。

 その高さは、自分で作ったレカロの座いすにあわせた高さにしようと思う。

 脚を付けるときに考慮しなければいけないのは、

 無垢板の裏側に、ルーターで溝を切ってから組み込むのか、

 それとも、そのまま直に取り付けてしまうのかだ。

 直接ボルトで止めてしまうのが一番楽ではあるが、

 板がそってしまったり、最悪の場合、ひびが入ってしまっうこともある。

 もし、ひびでも入って割れでもしたら元も子もない。

  作業に取り掛かる前に、よく調べてみよう。

 

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桑の伐採

 

 「大きくなった桑の木があるんだけど、いるかい?」

 「いります、いります。欲しいですよ!」 

 「じゃあさ、こんど伐採するときに声をかけるよ」

 「はい、チェンソーもって伐採の手伝いに行きますよ、必ず声をかけてくださいね!」

 

これは半年ほど前の、私と職場の仲間との会話であった。

私が山小屋を作ったりしている事を知っていたので、

もし桑の木を材料にして使うならとあげようと、声をかけてくれたのだった。

梅の木を植えるので、大きくなった桑の木を伐採し処分することになったためだった。

我が家には桑の無垢板で出来ている囲炉裏付きの座卓が、50インチのテレビの前に鎮座している。

私が以前、山小屋に置こうと衝動買いしたものなのだが、

その桑材は黄色味がかってしっとりとした味わいがあり、肌触りがよく大変気に入っている。

私の桑の木に対するイメージはすこぶるいいのだ。

しかも、太い桑の木は減っているので、最近ではとても高価な木材でもある。

その桑をタダでもらえるというのだから、断る理由があるはずなかった。

 

その伐採の日が、今日だった。

待ち合わせの場所に行ってみると、

沢沿いの窪地には、30年前に植えたという桑の木がうっそうと茂っていた。

桑の木は虫に食われていることが多いらしかった。

伐採してみないと、中に虫食いの穴や空洞があるか分からないということだったので、

とりあえず、ご自慢のハスクバーナーを借りて桑の木を切ってみた。

何本か切ってみたところ、虫に食われていないものもあり、

これが自分のものになると考えただけで舞い上がってしまい、ひたすら伐採しまくったのだった。

桑の木は重いので、あとで運ぶことを考え、長さは1メートル位で切り揃えておいた。

いちばん太いものは、一抱えもあって、重さはゆうに100kgを超していていた。

とても一人では運べそうもないが、どう運ぶかは後で考えることにすればいい。

まずはつっぱしって後から考えるという、いつもの悪い癖がでてしまう。

 

夕暮れ近くになって、どうにか作業が終わった。

桑の木を何本か車に積み込み、残りは何回かに分けて、車で自宅に運ぶことにする。

車で運んだ桑の木は、これから一年かけて乾燥させてから製材するのだ。

乾燥がうまくいったとしても、材料として使えるようになるには、あと何年もかかる。

まだ何を作るか決めていないのだが、とりあえずテーブルとかベンチを作ってみようと思っている。

 

 重い桑の木を伐採し運んだので、足腰はガクガク、泥だらけ、汗だらけでクタクタに疲れていた。

汗をふきながら、自分たちで伐採した桑の木を見ていると、その達成感と充実感でニンマリと口元がゆるむのだった。

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山小屋作り はしごの完成!

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 まる2年のあいだ放置したままだった、山小屋のヒミツの屋根裏部屋への階段と言うか、ハシゴがやっと完成した。

 はしごの代わりに脚立を使っていたのだが、このままではさすがに危ないかなと思い、ホームセンターで一本780円の2x6の板を3枚買ってきて、現場合わせで作ってみたのだ。作ってみたら、ものすごく急傾斜なハシゴになってしまった。落っこちないように手すりとすべり止めをつけた方がいいだろう。

 確認申請のいらない、10㎡以下の合法的違法建築物を自分で作る事が当初の目標だったことを考えると、一階は六畳のフローリング暖炉つき、二階のロフトは五畳半の寝室兼オーディオルームという立派な建物になったと思う。 そのほかに屋根つきのウッドデッキが九畳分あるし、天井を2.3mと高くとったので、それほど狭く感じない。素人が初めて建てたにしては、まあまあの出来だと思う。

 極小住宅などという言葉があったが、貧相なイメージが強すぎる。英語で言えば TINY HOUSE である。ちょっとカッコいいではないか。鴨長明に 「方丈記」 があるが、その方丈庵の方丈といえば、縦横3mだから面積は9㎡だ。それに比べれば、我が山小屋のほうが僅かに広いし、それとロフト付きなのだから、ウソを言うと倍くらいの広さなのである。ちなみに、良寛さんの五号庵よりもひろいのだ。こんなことで、えばってみても仕方がないのだ。

 いま一階は材料とか道具がゴチャゴチャしているのだが、ここをきれいに片づけて、無垢板のテーブルでも作ったらいいかもしれない。厚みのある板で棚をつくりお気に入りの本をドーンとならべるのもいいだろう。

 予定より、はるかに遅れてしまったが、あとはウッドデッキに接した台所とトイレ、そのまえにサウナ風呂を作ってみたい。サウナだったら水が少なくて済むからだ。

 まだまだやる事がたっぷりあって、これからが楽しみなのだ!

  

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与謝野晶子はすごいのだ!

 

 松岡正剛氏の 「千夜千冊」 で紹介のあった斉藤史から始まった短歌の世界は、いつのまにか佐伯裕子、和泉式部、良寛、与謝野晶子とつながってきた。 与謝野晶子と言えば、鬼がわらのような(失礼)いかつい大きな顔で、なんだか怖そうな目で一点を見据えているというようなイメージしかなかったのだったが、調べていくうちに、与謝野晶子はとんでもないスーパーマンみたいなパワフルな歌人であり情熱の女だったことが分かった。歌 の素晴らしはもちろんのことだが、その凄まじいまでの不屈の根性と実行力に恐れ入ってしまったのだ。

 まずは、「情熱のおんな」 晶子は当時結婚していた与謝野鉄幹に激しい恋心をいだき、もとの妻と離婚させ、はれて鉄幹と結婚することができた。今でいえば、不倫のあとの強奪婚とでもいうのだろうか。 鉄幹に対して歌ったうたではないが、その熱き激しい気性はこの歌から窺い知ることが出来る。

  やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

  乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬこころなる花の紅ぞ濃き

 夫となった与謝野鉄幹(のちに寛となる)は、悲憤慷慨調で勇壮な歌を書いていたのだが、その歌の内容とは裏腹に生活力を欠く男だった。当時、鉄幹が発行していた 「明星」 は毎月赤字を出し続けており、その赤字の穴埋めを、晶子がひとりで歌をつくり稼ぎだしていたのだ。しかもあろうことか稼ぎの悪い夫である鉄幹は、晶子の孤軍奮闘をよそめに、なんと情けないことに、別れた妻の実家に出向いて行って、金の無心をくりかえしていたのだった。理想論ばかりいっている鉄幹の代わりに、生活費を稼ぎだすために歌を詠んでいることを恥じてこんなうたを詠んでいる。

  ものほしききたなき心のつきそめし瞳とはやも知りたまいけむ

 不倫を理由に世間体を重んじて、父の葬儀にでることが許されなかった晶子だったが、明治三十七年、日露戦争が始まると、堺の町で実家の後を継いでいた弟の無事をいのってこの歌を書いたのだ。「すめらみことは、戦ひに、おほみずからは出でまさね」と明治天皇を堂々と批判しているところが潔い。 

   ああをとうとよ、君を泣く、

   君死にたまふことなかれ、

   末に生まれし君なれば、

   親のなさけはまさりしも、

   親は刃(やいば)をにぎらせて、

   人を殺せとをしえしや、

   人を殺して死ねよとて

   二十四までそだてしや。

         ー 君死にたまふことなかれ ー

 まったく稼ぎのない、鉄幹を奮い立たせるため、晶子は夫をフランスに遊学させることを思いつき、その費用すべてを用立て夫を仏蘭西へ旅立たせたたのだった。そのあと子供たちを預けて晶子も渡欧した。もちろん、その費用もすべて晶子が用意したのだ。

   ああ皐月仏蘭西の野は火の色す

       君も雛罌栗(コクリコ)われも雛罌栗(コクリコ)

 ここまで夫に尽くしたうえに晶子は、鉄幹とのあいだにもうけた十二人を育て上げた。特に高等教育に力をそそぎ、男の子三人を東京帝国大学に入学させているのだからアッパレといわざるをえない。夫と共に全国を旅して膨大な歌を詠み、生活費を稼いできた晶子は、夫の死後、みだれ髪を出した頃のような、夫へのはげしい恋慕の歌を詠い続けたのだ。最後の誕生日を迎えることとなったその三日後、太平洋戦争が勃発した。

   わが上に残れる月日一瞬によし替へんとも君生きて来よ

 晶子が最後の誕生日を迎えることとなった、その三日後に太平洋戦争が勃発した。

   筑紫よりめでたき柑子送られて三日経たれば戦になりぬ

   戦ある太平洋の西南を思ひてわれは寒き世を泣く

 太平洋戦争の勃発を知った晶子は戦いを憂いてこの歌を詠んだ。戦争を讃えた斉藤茂吉や高村光太郎と対照的だった。どんな状況においても、悪いことはわるい、と堂々と反対し、批判することのできた与謝野晶子はほんとうに素晴らしい歌人であり、人間だったと思う。鬼がわらみたいな顔の...などとおもっていた自分が恥ずかしい。容姿については晶子も自信がなかったらしく珍しく弱気な歌を残している。

   美しさ足らざる事を禍(わざわい)と思へる母のいつきてしわれ

  しかし、パワーあふれる晶子はそんなことにはめげなかった。次の歌がおのれの揺らぎない自信を象徴しているのだ。

    劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金のくぎ一つ打つ

 あつい情熱で怒涛のごとく短歌を作り続けた、

与謝野晶子の死後発行された「白桜集」をこれからじっくり読んでみようと思っている。

   

          

         

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新年あけましておめどとうございます

 

 新年あけましておめどとうございます

   今年もよろしくお願いいたします。

 

昨夜は夕飯を食べ、風呂に入ってそのまま眠ってしまった。

気がついたら新年になっていた。

昨夜はひどく疲れていたのだった。

年末年始は暇なので少し稼がねば、

そう思い立ってバイトの面接に行き貰った仕事は

大みそかで賑わうスーパーでの警備の仕事だった。

配置された場所は北側の出口で陽がまったくあたらず、

しかも午後からは風が吹き始め、

厚手のジャンバーを着ていても凍えるようだった。

遅々として進まない時計に悶々とし、仕事の終了時間が待ち遠しかった。

ところが、そんな泣き言を言っている自分に比べ、

朝から一緒に警備の仕事をしているベテランのおばちゃんは強かった。

このハードな仕事を続けて、ふたりの娘をじぶん一人で育てあげ、

今では孫が二人いると言っていた。

ようやく仕事が終わって別れ際に、

 「 あたしはね、これが終わったら、そのあと神社で徹夜の警備があるのよ。

 まだ下の娘が学生なんで、がんばらなくちゃ。それじゃ、お疲れ様!」

クタクタに疲れていた私は、タフで明るいおばちゃんに、

 「 機会があったら、また一緒に仕事をしましょう 」 と言って別れた。

警備会社に戻ってから、交通量の少ない暗い大みそかの国道を、

マウンテンバイクにのって帰途についた。

身体は凍え顔が寒さでヒリヒリと痛んだが、

元気なおばちゃんに励まされて、心のなかがなんだか暖かかった。

 

 「 いい年越しができたな 」 

家族の待つあたたかい家をめざしてマウンテンバイクをこぐ足に力がこもっていたのだった。

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ゆきおんな

あれは二年前の山小屋でのことだった。

冬の凍てつくような深夜、

激しい腹痛に襲われ目がさめた。

寝袋にはいったまま様子をみていたのだが、

腹痛はおさまるどころか、酷くなるいっぽうだった。

身体をまるめ脂汗をながしながら我慢していたのだが、

モーレツな差し込みと吐き気におそわれ我慢の限界だった。

やっとのことで寝袋から這い出し、ダウンジャケットをはおり、

屋根裏部屋からはしごをつたいおり、

山小屋の外へ転げるように飛び出した。

トイレットペーパーを探している余裕などなかった。

カチカチに凍りついた雪のうえでズボンをおろしたあとの記憶がなかった。

「 おきなさい。そのまま寝ていると...凍死しますよ 」

どこからか女の声が聞こえてきた。

かたい雪の上で寝ているのはわかるのだが身体が動かなかった。

そのままうつらうつらしていると

 「 死んでしまいますよ...」

ふたたび、静かな語りかけるような声がした。

うっすらと目を開けると、あたりいちめん青白い銀世界だった。

見上げると楢の樹のうえにシリウスが煌めいていた。

どれくらい寝ていたのだろうか、ふしぎと寒さは感じなかった。

ズボンはさげたままだった。

雪の中で尻をだしたままオヤジが死んでいたらカッコ悪いだろうな。

やっとのことでズボンを上げ、這うようにして山小屋に戻った。

寝袋にもぐり込み、気がついたら朝だった。

 

 夢だったのだろうか...

おぼろげな記憶をたどるようにして昨夜のことを思い出していた。

横を見ると何事もなかったように奥様が寝ていた。

もしや、と思い寝袋から這い出し山小屋から出てみた。

身体がふらついていた。

夢ではなかった。

雪のうえには何かがのたくったようなみだれた跡と排泄物がひっそりと残っていた。

スコップで昨夜の惨劇の証拠を埋め戻しながら、

 「 あれは雪女だったのかもしれないな 」  と思っていた。

 この夜の事はしばらく奥様にも話さなかった。

雪女との秘め事はだれにも話してはいけない...と、思ったからだった。

 

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山小屋作り チェンソーの復活

 

チェンソーのスイッチをONにする。

燃料ポンプを数回押してからチョークレバーを引き、

腰の高さまで持ち上げたチェンソーを、

地面に下ろしながら、チェンソーの自重を利用してスターターロープを引く。

エンジンがかかってから、スロットルレバーを握ると、

軽快な音エンジン音とともにチェンソーが回転を始める。

エンジンの回転を最大限にあげ、

オイルが吐出しているのを確認して準備が完了だ。

右手でスロットルレバーを握り、チェンソーの取っ手を左手で支え、

楢の丸太に刃をあてる。

勢いよく白い木屑が吐き出され、チェンソーのバーが丸太に食い込んでいく。

太さ30cmくらいの丸太が面白いように切れていく。

堅くて手に負えず、放置してあった山桜の丸太も、

なんなく玉切りにすることができた。

 「やったぜ!」 おもわず笑みがこぼれる。

 

先日、友人のビニールハウスで立ち話をしていた時のことだった。

 「 最近、チェンソーの切れがわるくてさ。いくら研いでも切れなくて困ってるんだ。」

 「 新しいの買ったら?ネットで売ってるからサ、それを買って取り替えた方が楽だよ。 

  オレは毎年、あたらしい刃に替えてるんだ。値段は2000円くらいだよ」

新しい刃に変えようかなと思ってはいたのだが、

買い替えるのももったいないし、

まだ刃が残っているので、研げば切れるようになると思っていたのだ。

 ところがだ...

友人のアドバイス通り、チェンソーの刃を新しくしたら、

まるで生まれ変わったように、よく切れるようになったのだ。

こんなことならケチケチしないで買い替えればよかった。

いままでの遅れをとりかえそうと必死に頑張った。

ストーブに入る長さに合わせて玉切りした薪を

一輪車にのせて一か所に集め積み上げていった。

腐りかけた杉の丸太もついでに切っていった。

汗びっしょりになって、積み上げた薪の山を見て満足していた。

  すみわたった青空を吹き抜けていく冷たい風も、きょうは爽快だった。

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フォーレのレクイエム

 

山小屋についた時、外気温はすでに氷点下6℃まで下がっていた。

青白い月の光が落葉松林の残雪をうっすらと照らし、

あたりは森閑としていた。

山小屋の中は冷えきっていた。

いそいで薪ストーブに火を入れる。

部屋が暖まるまでダウンジャケットをはおったまま、

斉藤史の 「記憶の茂み」 を読む。

  

  すでにしておのれ黄昏うすら氷 (ひ) の透けるいのちに差すや月光

  戦前派と呼ばれて長く生きて来つまた戦前派となるな夢にも

  わが年齢に母は盲目 (めしひ) の闇に住み頭 (づ) の中に何の色を視てゐし

まるでモノトーンのように冷え切っていた部屋も、

薪をくべているあいだに部屋のなかが暖かくなってきた。

屋根裏部屋によじ登ってステレオのスイッチをいれ、

壁が振動で震えるくらい音量をあげて、フォーレのレクイエムをかける。

目をとじフォーレのレクイエムに聞き入っていると、

教会の大聖堂にひびきわたるキリエ、

レンブラントライトに浮きだされたキリスト、

ひっそりと置かれた棺がおもいうかんでくる。

背筋がぞくっとするようなバリトンの調べに目頭があつくなる。

世俗にまみれた葬式をするつもりはないが、

自分が死んだら焼き場で灰になるまでのあいだ、

このフォーレのレクイエムをかけてもらおう。

それとパブロカザルスのチェロが奏でるG線上のアリアも一緒にだ。

それはちょっとカッコよすぎる願いかもしれない。

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たそがれ時に

 

山小屋はすっかり闇につつまれ、

西側の窓に薄紫にかすんだ浅間山が浮かび、

浅間の嶺に暗く垂れこめた雲間に

薄紅色の夕日がまさに消えようとしていた。

椅子に凭れたまま、いつのまにか寝入っていたらしかった。

ステレオからはブーニンのピアノ演奏が流れ続け、

階下から薪ストーブで焚いている楢の薫がただよっていた。

今年に入って山小屋作りは全く進んでいなかった。

せめて今年の間に内部の仕上げだけでも済ませようと、

ひとり山小屋に籠ってその作業に没頭していた。

だれも来ていない別荘地には、

野鳥のさえずりがときおり聞こえるだけで、

静寂だった。

ふた晩ともよく晴れた。

漆黒の闇にシリウスが瞬き、木星がぽってりと輝いていた。

双眼鏡を持ってくればよかった。しかたなく、

メガネをはずしアウトフォーカスで天を見上げると、

滲んだオリオン座が絵のよう浮かんでいた。

ピリピリするような寒気から逃げるように山小屋に入り、

ストーブに太めの薪をほうり込んでから寝袋に入った。

あとでどうにかなるさ ... と 、

めんどくさい作業を後回しにしてきたつけが祟って、

最後の仕上げには、思わぬ手間と時間がかかったが充実した3日間だった。

どうにか仕上げの作業を終え、

車からはずして作ったレカロの椅子に凭れて、

ブーニンの奏でるショパンのエチュードを聞いていたのだった。

疲れていた。

薪ストーブで暖かかった室内はいつのまにか肌寒くなっていた。

冷めてしまったコーヒーを飲みほし、

闇のなかでせわしなく点滅を繰り返している

インジケーターの光を見つめながら、

自分のこれからの身のふりかたを考えていた。

いつまで逃げ続けるわけにはいかない、

どうにかしないと...

 人生のたそがれ時になっても、まだ迷っていた。

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奥様たおれる

どんよりと低く垂れこめた曇から降り続けた雨は、

歩道にもアスファルトの路上にも水たまりをつくり、

走り去っていく車が容赦なくあびせる冷たい水しぶきで、

靴はびしょびしょに濡れていた。

気持が昂ぶっていたせいか、不思議と寒さは感じなかった。

曲がったビニール傘をさし雨に濡れながら、

救急車で病院まで搬送されてきた道を、

家に向かって歩いていた。

茶色く濁って増水した川に水をながめながら橋を渡っていると、

携帯が鳴った。

娘1号からだった。

「おかあさん、大丈夫だった?」

「うん。検査の結果脳には異状ないんで、家に帰っていいって。

いま、車をとりに家へ帰るところ。大丈夫だってよ。ありがと」

「よかった...。じゃ、またあとで電話するね」

今朝のことだった。

なにかが倒れるような大きな音がしたので、

二階に駆け上がってみると、奥様が倒れていたのだ。

声をかけても反応がまったくなかった。

「救急車をよばなきゃ!」

驚いてかけよってきた、むすめ2号が携帯で119番通報した。

奥様の容体と自宅への道順を話してケータイを切ったものの、

なにを準備したらいいのか、うろたえていた。

すぐに駆けつけてくれた救急隊員に、

保険証を用意するように言われ、

それが何処にあるのか分からず、

救急車に収容され、意識が戻ってきた奥様に、

何処に保険証があるのか聞きにいってしまったくらいだった。

オタオタしていたくせに、

もしかしたら、長く待たされるかもしれないと考え、

松浦理恵子の長編小説 「犬身(けんしん)」 をしっかりと選んで

リュックにほうり込むことだけは忘れていなかったのだった。

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